2018年7月にNHK BSプレミアムで放送されたスーパープレミアム『悪魔が来りて笛を吹く』は、横溝正史の古典的名作ミステリーを、現代の映像美と大胆な解釈によって再構築した意欲作である。長谷川博己が演じた前作『獄門島』の狂気的かつシニカルなアプローチから一転、本作で金田一耕助を演じた吉岡秀隆は、ボロボロの着物に白髪交じりの頭を掻きむしり、他人の不幸に涙を流す「痛ましいほどに心優しき探偵」として登場した。
感想
物語の舞台は、太平洋戦争の敗戦と日本国憲法の施行によって華族制度が廃止された昭和22年。没落の一途をたどる旧華族・椿家を舞台に、奇怪な砂占い、密室殺人、そして死んだはずの当主が作曲した呪われたフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」の旋律が響き渡る。太宰治の『斜陽』に代表される滅びゆく上流階級の頽廃と、戦後最大の未解決事件「帝銀事件」をモチーフにしたこの世界観を、吉田照幸監督は名建築・六華苑を舞台にした圧倒的な映像美と、ポーティスヘッドやジョン・レノンといった異色の洋楽劇伴を用いて、極上のゴシック・サスペンスへと昇華させた。
本作最大の魅力であり、同時に議論を呼んだのが、原作からの決定的な改変である。原作において犯人の河村治雄(三島東太郎)は、己が実の兄妹(新宮利彦と椿秌子)の過ちによって産み落とされたこと、そして愛した小夜子が自らの異母妹であり、近親相姦を苦に胎児と共に命を絶ったことをすべて知った上で、冷徹な復讐を遂行していた。しかし本作の治雄は、自らの出自を知らぬまま「小夜子を死に追いやった椿家への仇討ち」のために館へ潜入していた。
この改変により、終盤の謎解きシーンは単なる論理の開示ではなく、耐えがたい精神的拷問の場へと変貌する。金田一は震える声で、治雄自身が「悪魔の子」であり、知らずして親と同じ近親相姦の罪を犯していたという地獄の真実を告げてしまう。真実を知って狂乱した治雄が、反省もなく自らを誘惑する実母・秌子を滅多刺しにし、警部に射殺されるクライマックスは、観る者の倫理観を激しく揺さぶる凄惨なカタルシスに満ちていた。
さらに、タイトルでもある「悪魔が来りて笛を吹く」のフルート曲を、犯人が吹くことなく散らせた点も象徴的だ。事件がすべて終わり、更地となった椿邸で、一彦が奏でる黄金のフルートの指使いを見て、金田一は一人戦慄する。その曲は「右手の指を2本失った治雄でも吹ける曲」であり、椿英輔が最初から治雄の存在に気付いていた証拠だったのだ。探偵が最初からその謎を解き明かしていれば、あるいはこの凄惨な血の連鎖を止められたかもしれない――。膝を抱えて自らの無力さに打ちひしがれる吉岡金田一の姿は、真実を暴くことの残酷さと、探偵という存在が背負う業の深さを痛烈に物語っている。
爛れた人間の業を徹底的に描き切った役者陣の怪演、特に筒井真理子の妖艶な狂気や中村蒼の魂の叫び、そして倉科カナの艶やかな昭和感も見事というほかない。単なる謎解きミステリーの枠組みを超え、「悪魔とは誰だったのか」を問いかける本作は、金田一耕助映像化の歴史において、最も痛切で、最も美しい「胸糞の傑作」として長く記憶されるべき一編である。
登場人物
| 人物名 | キャスト | 役柄・属性 | 作中での役割・結末 |
|---|---|---|---|
| 金田一耕助 | 吉岡秀隆 | 私立探偵 | 美禰子の依頼で事件に関わる。優しく人間味にあふれるが、真相を解き明かしたことで逆に惨劇を引き金を引いてしまい苦悩する。 |
| 椿英輔 | 益岡徹 | 椿家当主、元子爵 | フルート奏者。天銀堂事件の嫌疑を苦に自殺したと見せかけ、屋敷に巣食う「悪魔」を告発するヒントを遺して命を絶つ。 |
| 椿秌子 | 筒井真理子 | 英輔の妻、美禰子の母 | 淫乱で奔放。弟・利彦との近親相姦を主導した元凶。治雄に刺殺される。 |
| 椿美禰子 | 志田未来 | 英輔と秌子の娘 | 金田一への依頼人。父の無実と死の真相を強く求め、結果として一族の地獄の蓋を開けてしまう。 |
| 三島東太郎(河村治雄) | 中村蒼 | 椿家の書生(使用人) | 戦争で右手の指2本を欠損。正体は秌子と利彦の実子。復讐のために館に入り込むが、真実を知らされ暴走し警部に射殺される。 |
| 新宮利彦 | 村上淳 | 秌子の弟、元子爵 | 傲慢な道楽者。左肩に火焔太鼓の痣がある。姉・秌子や駒子を手篭めにした。防空壕で風神像で頭部を殴打され殺害される。 |
| 新宮華子 | 篠原ゆき子 | 利彦の妻 | 夫の横暴に耐えてきたが、夫の死後は少しずつ自己を主張し始める。 |
| 新宮一彦 | 中島広稀 | 利彦の息子、美禰子の従兄 | 英輔のフルートの弟子。事件後、英輔の遺品である黄金のフルートで「悪魔が来りて笛を吹く」を奏でる。 |
| 玉虫公丸 | 中村育二 | 秌子・利彦の伯父、元伯爵 | 元貴族院議員。過去の醜聞をもみ消した張本人。密室と化した部屋で雷神像で殴打後、絞殺される(第1の被害者)。 |
| 菊江 | 倉科カナ | 椿家の小間使い、公丸の妾 | 元新橋の芸者見習い。左手小指を心中立てで欠損。昭和のヴァンプ感漂う言動で独特の存在感を放つ。 |
| 目賀重亮 | 山西惇 | 秌子の主治医・愛人 | 計画停電を利用して砂占いを取り仕切る。事件関係者として翻弄される。 |
| 等々力大志 | 池田成志 | 警視庁警部 | 金田一の相棒的刑事。暴走した東太郎を止めるため、止む無く射殺する。 |
| 沢村刑事 | 市川知宏 | 等々力の部下の若手刑事 | 現場捜査にあたり、庭の防空壕から英輔のフルートケースを発見する。 |
| 堀井駒子(妙海尼) | 黒沢あすか | 植辰の娘、尼僧 | 利彦に暴行され小夜子を出産。淡路島で尼となっていたが、飯尾によって毒殺される。 |
| 堀井小夜子 | 小林涼子 | 駒子の娘 | 治雄と愛し合い妊娠するが、治雄が異母兄だと知らされ服毒自殺した。 |
| 河村辰五郎(植辰) | 白井哲也 | 植木職人、駒子の父 | 玉虫家を脅迫して得た大金で放蕩を尽くし、空襲で死亡。 |
| 慈道 | 火野正平 | 法乗寺の住職 | 妙海(駒子)を寺に匿い、金田一らに過去の因縁を語る。 |
| おすみ | 橋本マナミ | 須磨「三春園」の仲居 | 岡山出身のアクセント(蜘蛛の発音)で、金田一に犯人の出自のヒントを与える。 |
| おかみ | 山村紅葉 | 須磨「三春園」の女将 | 英輔が投宿した当時の様子や、玉虫別荘の過去を語る。 |
| せつ子 | 倍賞美津子 | 割烹旅館「松月」女将 | 金田一が逗留する宿の女将。打ちひしがれる金田一に優しく言葉をかける。 |
| 飯尾豊三郎 | (劇中登場) | 天銀堂事件の真犯人 | 椿英輔に瓜二つの男。治雄に利用された末、惨殺されて遺棄される。 |
| 磯川常次郎 | 小市慢太郎(声) | 岡山県警警部 | 電話音声のみ。終盤、金田一に「八つ墓村で事件です!」と連絡してくる。 |
ネタバレ
連続殺人の真犯人は、椿家の忠実な書生・三島東太郎(みしま とうたろう)を名乗っていた青年、本名・河村治雄(かわむら
はるお)でした。しかし、彼は自らが繰り広げた復讐劇の「本当の恐ろしさ」を何一つ知らずに凶行に及んでいました。
事件の根底にあったのは、二十数年前、須磨の別荘で起きた忌まわしい出来事です。椿秌子とその弟・新宮利彦は実の姉弟でありながら肉体関係を結んでいました(ドラマ版設定)。その現場を目撃した小間使いの堀井駒子は、口封じのために利彦に乱暴され、娘・小夜子を身ごもります。そして同じ夏、秌子もまた利彦の子を身ごもっていました。この「姉弟の近親相姦」によって産み落とされた赤子こそが治雄でした。伯父の玉虫公丸は醜聞を隠すため、赤子を植木屋の植辰(河村辰五郎)へ大金とともに里子に出したのです。
成長した治雄は、自分を植辰の妾の連れ子だと思い込み、戸籍上の姪にあたる小夜子と純粋に愛し合い、将来を誓い合って出征します。ところが復員後、小夜子が身重のまま服毒自殺したことを知らされます。理由を教えてくれない駒子に対し、治雄は「小夜子は椿家や新宮家の連中に玩具にされ、口封じに殺されたのだ」と誤認。椿家を破滅させるべく、天銀堂事件の真犯人・飯尾豊三郎の顔が椿英輔に酷似していることを利用し、英輔を密告して自殺に追い込み、飯尾を手下に使いながら椿邸へ書生として潜入したのです。
真相解明の場において、金田一は治雄に対し残酷な真実を突きつけます。「小夜子が命を絶ったのは、愛した治雄が『実の異母兄』であり、お腹の子が近親相姦の結晶だと知って絶望したからだ」と。そして、「治雄自身もまた、利彦と秌子の近親相姦で生まれた子(悪魔の子)である」という事実を、ワインを飲ませて浮き出た肩の痣によって証明します。
自らが親と同じ呪われた罪を重ねていたことを知った治雄は発狂。一命を取り留めて寝ていた母・秌子の部屋へ駆け込み真意を問いただしますが、秌子は反省するどころか薄ら笑いを浮かべ、「いい男だねぇ、する?」と実の息子を性的に誘惑します。絶望と激怒の頂点に達した治雄は秌子に馬乗りになり滅多刺しにして惨殺。暴走を止められない等々力警部によってその場で射殺されるという、救いようのない結末を迎えます。
後日、英輔の形見である黄金のフルートを従兄の一彦が演奏するのを見た金田一は、その曲が「戦争で右手の中指と薬指を失った治雄でも吹ける曲」であったことに気付きます。英輔は最初から治雄の正体を知った上で曲を遺していたのです。真相を事前に見抜けず惨劇を防げなかった己の無力さに、金田一は一人膝を抱えて打ちのめされるのでした。
